HIBIKI FP OFFICE(愛知県名古屋市のFP事務所)代表ファイナンシャルプランナーの重永です。

新一万円札は渋沢栄一

新五千円札は津田梅子

覚えましたか?

新千円札の北里渋三郎はどういう人物なのか?知っておきましょう。

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【北里渋三郎について知りたくなる情報】

今の千円札といえば野口英世です。

彼は細菌学者として有名ですね。

なんと新千円札の肖像画に選ばれた北里渋三郎も細菌学者です。

というか、野口英世の師匠です。

そんな北里渋三郎は医学界で大きな功績を残したわけですが、他にも「一家に一匹ネコちゃんを飼うことを推奨」したことでも有名です。

マジです。

興味でましたか?

【破傷風の血清療法を確立】

1889年(明治22年)、ドイツ留学中の36歳の時に破傷風菌の純粋培養に成功し、免疫抗体を発見、それを応用して血清療法を確立させました。

1952年にワクチンが導入されるまでの破傷風にかかった致死率は非常に高く、ワクチン導入前の1950年には報告患者数1,915人に対し、1,558人が死亡していました。

よく「土いじりをしたら手洗いを入念にしないと破傷風にかかる」と言います。

今でこそ治療法がありますが、昔の人にとっては未知の病でとても怖かったことでしょう。

破傷風をテーマにした映画「震える舌」はだいぶエグいです。

多くの命を救うことになる大発見をした、まさに英雄です。

「日本人初のノーベル賞候補者」

破傷風の血清療法を応用して、当時のヨーロッパで大流行していたジフテリアの血清療法も確立させました。

この研究を評価され、日本人として初めてノーベル賞候補にノミネートされました。

結局ノーベル賞を受賞したのは、一緒に研究していたベーリングだけでした。(闇が深そう)

受賞は逃しましたが、世界が彼の業績を高く評価したのは間違いありません。

【まっすぐ自分の言葉は曲げない北里渋三郎】

北里渋三郎は脚気の原因が栄養不足であることを突き止めたわけですが、当時は東大教授である緒方正規の「脚気の原因は細菌」という説に対立する形になりました。

母校である東大医学部と対立する形となってしまい、日本での研究室を用意してもらえませんでした。

「これはいかん!」と福澤諭吉が聞きつけ、彼の援助で「私立伝染病研究所」が設立され、北里柴三郎はそこの初代所長となり研究を続けました。

この研究所は後に、現在の東京大学医科学研究所になりました。

自分より偉い先生が唱える説を批判できますか?

それこそ自分の研究生活に支障をきたす可能性があるのに、自分の信念を曲げずに貫き通しました。

かっこよすぎます。

【慶應大学医学部と北里大学の創設に尽力】

研究所がなくて困っていた時に、慶應大学の創始者である福澤諭吉が設立した「私立伝染病研究所」の初代所長に就任し研究を続けました。

さらに私費を投じて私立北里研究所(現在の北里大学の前身)を設立しました。

慶應大学医学部の創設にも尽力し、しっかり福澤諭吉へ恩返ししています。

【北里渋三郎「一家に一匹ネコちゃんを飼うとええで」】

1894年(明治27)年に政府の依頼で香港に派遣されます。

当時の香港では、原因不明の病が大流行していました。

後にペストとわかるのですが、原因がわからないため患者とその近辺に住む住人を強制退去させ、家屋を取り壊して家具ごと全て焼き払うしかできませんでした。

燃やせば菌は死ぬだろう理論ですね。

(一説によると、ペストはローマ時代にもあったそうな)

そんな香港で北里渋三郎は、病原菌であるペスト菌を発見しました。

原因を究明し、感染予防のために「患者の隔離・検疫」「上下水道整備」などの「伝染病予防法」の成立にも注力しました。

この「伝染病予防法」を成立させる際に、ペスト菌は不衛生なネズミを媒介にして感染することを危惧し、「一家に一匹ネコちゃんを飼うとよい」と提唱しました。

現代の猫ブームは北里渋三郎が残した最大の功績と言っても過言ではありません。

とにかく「衛生思想」を根付かせることに貢献しました。

【まとめ】

野口英世の師匠で、破傷風やジフテリアをはじめ、多くの「予防法」を確立させた細菌学の大先生です。

「病人を救う医療も大切だが、医療の使命は病気を予防することにある」という自らの信念のもと、うまくやれば金儲けもできたでしょうが、研究室と下宿先との往復の道しか知らないほど研究に没頭します。

今、私たちが当たり前に生活できているのは彼らが人生を捧げて研究してくれたおかげです。